親にADHDと診断されたことを言えない話~私の辛い過去~
今日は実家に帰らなければいけない用事があり、久々に電車で1時間かけ実家に行った。
晩御飯は、僕が大好きなローストビーフを用意してくれていた。
ありがとう! お母さん!!
休職中の僕を心配してくれているのであろう。
ただ、僕は親にどうしてもADHDであることを言いたくない理由がある。
それは、心配かけたくないとかではない。
言ったところで、否定されて終わるからである。
そもそも親は本来の僕を理解している気になっていて、理解できていないのだ。
そして、それは僕にも原因がある。
この話だけでは、意味が分からないと思うので僕の生い立ちについて今日は話したいと思います(笑)
ひきこもりの兄
僕には、2つ上の兄がいる。
といっても、15年近く話してない世界で一番記憶から消したい存在だ。
兄弟喧嘩で嫌いになったとかそういうわけではない。
僕が小学校6年生から、高校2年生までの約6年間兄はずっと家に引きこもっていたのだ。
原因はしらん、、、多分学校が合わなかったのか??いじめられていたのか?
当時部活から帰り家に近づくと、いつも兄の奇声や壁に穴が開く音・母親の泣き叫ぶ声が聴こえた。
兄は体重100kg近くある巨漢で包丁を持って脅してくることもあったので、僕と家族はいつか本当に殺されるのではないか?僕は死ななくても、第三者を殺して犯罪者の家族として生きていかなければならないかも、、、、
僕は、普段からこんなことを考えながら日々過ごしていた。
ニュースでたまに見る学校に行かない引きこもりを抱えた家族の映像をイメージしていただければよいかも、、(笑)
母はいつも泣いていたし、薬も服用していたのでおそらくうつ病であっただろう。
僕も朝の目覚めは兄の奇声で、夜も騒がしい日はいつもイヤホンで大音量の音楽を聴きながら寝る生活に頭が狂いそうだった。
僕の中学校生活
一方僕の中学校時代はというと、こちらも割と辛い日々であった。
当時ラグビー部に所属していて関東大会で優勝するようなゴリゴリの体育会系で、先輩からの暴力は当たり前のような環境にいた。
また当時運動神経が悪く変わり者の僕は、いじめの標的にされることもあった。
また、そのいじめは部活内を超えクラスでも広がることもあり、死にたいと思う時期もあった、、。
正直メンタルは家・学校生活共にボロボロであった。
でも不登校になったところで、家にも居場所はないので逃げ道はなかった。
クラスにも部内にも仲の良い友達もいたので、それだけが唯一の居場所だったのかもしれない。
親にADHDと話せない理由
暗い過去の話をしてしまい、申し訳ございません。
で、なぜ話せないかというと、、、
僕一度社会人になってから母親にADHDかもしれないと相談したことがあったんです、、
そしたら母から
「それは違うよ。〇〇は面倒くさがり屋で、辛い事経験せずに生きてたからだらしのない人間になった。だから、これからその分頑張らなきゃいけない。」
と言われたからです。
僕は幼い頃からプライベートでどんなに辛い事をされても、親に一切言わずに生きてきた。
理由は二つ
・兄に対する対応を見て、頑張りが空回りするタイプだと感じていたこと
・兄の面倒で限界を超えている為、迷惑は掛けられない。
だから僕は全力で家では明るく振舞っていた。
しかし、その僕を見て親には苦労していない子供に見えていたらしい。
確かに中高大とエスカレーターで通わせて頂き、金銭面では満足に育てて頂いたと思う。
しかし、心はいつも悲鳴を上げていたのだ。
でも、不思議ですね。
あの時はバレないように必死に生きていたのに、今は辛い経験してきたの知っていてほしかったなんて、、。
因みに兄は、僕が高校1年生の冬に一人暮らしを始めてそっからは大学卒業までは実家で平和に過ごしてました。
高校生活は割と楽しく過ごせたし、それからは割と楽しい人生で過ごしてます!!
今思えば、子供ながら良くあの環境に耐えたなと褒めてあげたいです(笑)!!
でも最近仕事で適応障害になってネガティブになっているので、どうしても辛い記憶が蘇ってくるんですよね、、。
あの辛い経験は、自分の将来にとってプラスだったのか?
もし、兄さえいなければもっと有意義な学生生活を送れたのでは?
今考えても本当に仕方がないんですけど、、(笑)
でも、その時の経験から人には凄いやさしくなれた気がします!
もし自分と同じ経験をしている人がいたら、
その生活はいつまでも続くわけじゃないから、楽しい未来のために頑張れ!!
と言いたい。
これ、今の自分にも凄い突き刺さるwwww
以上(笑)