適応障害の僕が一週間ブログを更新した結果。
皆さん、いつもブログを見てくださりありがとうございます。
何とかまずは一周更新続けられることができました!!
ありがとうございます!!🌟🌟
中身のないブログですが、徐々に精度を上げていければなと思います!
まずは続けることが大事笑笑
正直三日目あたりで、もう頭痛いし更新するのやめようかな、、と思ったこともあったんですけど、何とか続けることができました!😁
一週間続けると少し習慣化された気がして、義務感が芽生えてきた気がします笑笑
それとコメントとか☆を頂けたりすると、凄い嬉しいし頑張らなきゃって前向きになれました!
いつも見ていただいている皆様、ありがとうございます!!(^^)
後最近ではブログを書くことが凄く楽しくなってきている自分がいて、物事を前向きに考えられるように成りつつある気がします笑笑
今は気がするだけだけど、3ヶ月後、半年後は新たなステージで頑張っているブログを書いている自分であってほしい、、!!!
これからも、引き続き更新していきますのでよろしくお願いします!!
頑張るぞ^_^
親にADHDと診断されたことを言えない話~私の辛い過去~
今日は実家に帰らなければいけない用事があり、久々に電車で1時間かけ実家に行った。
晩御飯は、僕が大好きなローストビーフを用意してくれていた。
ありがとう! お母さん!!
休職中の僕を心配してくれているのであろう。
ただ、僕は親にどうしてもADHDであることを言いたくない理由がある。
それは、心配かけたくないとかではない。
言ったところで、否定されて終わるからである。
そもそも親は本来の僕を理解している気になっていて、理解できていないのだ。
そして、それは僕にも原因がある。
この話だけでは、意味が分からないと思うので僕の生い立ちについて今日は話したいと思います(笑)
ひきこもりの兄
僕には、2つ上の兄がいる。
といっても、15年近く話してない世界で一番記憶から消したい存在だ。
兄弟喧嘩で嫌いになったとかそういうわけではない。
僕が小学校6年生から、高校2年生までの約6年間兄はずっと家に引きこもっていたのだ。
原因はしらん、、、多分学校が合わなかったのか??いじめられていたのか?
当時部活から帰り家に近づくと、いつも兄の奇声や壁に穴が開く音・母親の泣き叫ぶ声が聴こえた。
兄は体重100kg近くある巨漢で包丁を持って脅してくることもあったので、僕と家族はいつか本当に殺されるのではないか?僕は死ななくても、第三者を殺して犯罪者の家族として生きていかなければならないかも、、、、
僕は、普段からこんなことを考えながら日々過ごしていた。
ニュースでたまに見る学校に行かない引きこもりを抱えた家族の映像をイメージしていただければよいかも、、(笑)
母はいつも泣いていたし、薬も服用していたのでおそらくうつ病であっただろう。
僕も朝の目覚めは兄の奇声で、夜も騒がしい日はいつもイヤホンで大音量の音楽を聴きながら寝る生活に頭が狂いそうだった。
僕の中学校生活
一方僕の中学校時代はというと、こちらも割と辛い日々であった。
当時ラグビー部に所属していて関東大会で優勝するようなゴリゴリの体育会系で、先輩からの暴力は当たり前のような環境にいた。
また当時運動神経が悪く変わり者の僕は、いじめの標的にされることもあった。
また、そのいじめは部活内を超えクラスでも広がることもあり、死にたいと思う時期もあった、、。
正直メンタルは家・学校生活共にボロボロであった。
でも不登校になったところで、家にも居場所はないので逃げ道はなかった。
クラスにも部内にも仲の良い友達もいたので、それだけが唯一の居場所だったのかもしれない。
親にADHDと話せない理由
暗い過去の話をしてしまい、申し訳ございません。
で、なぜ話せないかというと、、、
僕一度社会人になってから母親にADHDかもしれないと相談したことがあったんです、、
そしたら母から
「それは違うよ。〇〇は面倒くさがり屋で、辛い事経験せずに生きてたからだらしのない人間になった。だから、これからその分頑張らなきゃいけない。」
と言われたからです。
僕は幼い頃からプライベートでどんなに辛い事をされても、親に一切言わずに生きてきた。
理由は二つ
・兄に対する対応を見て、頑張りが空回りするタイプだと感じていたこと
・兄の面倒で限界を超えている為、迷惑は掛けられない。
だから僕は全力で家では明るく振舞っていた。
しかし、その僕を見て親には苦労していない子供に見えていたらしい。
確かに中高大とエスカレーターで通わせて頂き、金銭面では満足に育てて頂いたと思う。
しかし、心はいつも悲鳴を上げていたのだ。
でも、不思議ですね。
あの時はバレないように必死に生きていたのに、今は辛い経験してきたの知っていてほしかったなんて、、。
因みに兄は、僕が高校1年生の冬に一人暮らしを始めてそっからは大学卒業までは実家で平和に過ごしてました。
高校生活は割と楽しく過ごせたし、それからは割と楽しい人生で過ごしてます!!
今思えば、子供ながら良くあの環境に耐えたなと褒めてあげたいです(笑)!!
でも最近仕事で適応障害になってネガティブになっているので、どうしても辛い記憶が蘇ってくるんですよね、、。
あの辛い経験は、自分の将来にとってプラスだったのか?
もし、兄さえいなければもっと有意義な学生生活を送れたのでは?
今考えても本当に仕方がないんですけど、、(笑)
でも、その時の経験から人には凄いやさしくなれた気がします!
もし自分と同じ経験をしている人がいたら、
その生活はいつまでも続くわけじゃないから、楽しい未来のために頑張れ!!
と言いたい。
これ、今の自分にも凄い突き刺さるwwww
以上(笑)
ADHD専門の転職講座行ってきた話
ADHDと診断されてから、3週間が経った。
6月末に適応障害と診断され、現在休職しているわけだが、八月には復帰予定である。
このまま復帰しても正直何も変わる気がしない。
また、ストレスで押しつぶされそうになる日々が始まり、いきている意味を探し続けるだけであろう。
ストレスのない仕事はないが、自分の特性に合った仕事を見つけることはできるはずだ。
最近、色々業界について調べていく中で、webデザイナーという職種に興味を持ち始めた。
どうやら、ADHD持ちの方でも活躍されている方が多く、またフリーランスとしても活動している方も多いそうなので、自分にあっているのかな?と思った。
(ざっくりし過ぎてすいません笑笑)
それで、本日無料で発達障害向けのWeb業界の講座(初心者向け)があるとのことなので参加してきた。
内容は大まかにいうと、
「web業界の中にも様々な職種があって、自分の特性を自覚した上でどこを目指すか考えるか大事である。
web業界は比較的未経験でも入りやすいし、今後も需要は増えていき、しばらくはRPAなどに仕事を奪われることはない」
といった感じであった。
発達障害持ちの方で無くても、参考になるようなお話は沢山聞けた。
また、講師の方にwebデザイナーでいずれフリーランスで働きたいんですけど可能ですか??
と、質問したところ
「発達障害の方でもwebデザイナーで活躍されている方は沢山いるし、フリーランスになりたいのであれば、就職して下積みするより、独学で勉強していきなりフリーランスやった方が無難だと思うよ!」
と返答が来た。
まだ、自分の今後の進路が決まったわけではないが、明日からwebデザインの勉強でもしようかな!!
今日から約二週間で2キロ痩せます!!
本日のブログ更新遅れてしまいました、、(7/13日分です)
知らない間にパソコンの前で寝てし、、笑笑
昨日の日記で七月中は毎日ジム行くと決めたのですが、目標がないと頑張れないので、2キロ痩せることを目標にしたいと思います!!
七月までに2キロ痩せたいと思います!!
体調はあまり良くないが、少しずつ回復しつつあるので運動することも大事!
現在体重は77.6kg
体脂肪は24オーバー笑笑
(体重はともかく、、体脂肪やばい、、笑笑 故障を疑います、、)
これが僕の現状体系です。
元々ラグビー中高と六年間やってたので、割とガチむち体系です笑笑
今後毎週土曜日に筋トレとダイエットの途中経過をあげていきます
!
目指すはコアラ小嵐(僕の理想の体型のyoutuberです笑笑)
何年掛かるかわからないが、頑張るぞ!!
みずほATM休止か〜い😭!!!
今日こそは電車に乗って近くの温泉にでも行こう!!
現在ほぼ引きこもり生活をしている僕にとって、昨日胸に誓った小さな決断であった、、
お財布には500円しか入っていなかった僕は、早速ATMに向かった。
7月13日(土)午前0時から16日(火)の午前8時まで、ATMなど全てのオンラインサービスが利用できなくなります。
やっちまったーーーーーー(T ^ T)
店内は真っ暗で張り紙だけがぽつんと貼ってあった。
これからの僕の直近の目標は、温泉に行くではなく3日間500円生活を達成するに変わった。
温泉に行く目標はなくなったわけではあるが、小さな目標があることには変わりはない笑笑
ポジティブシンキング大事!!⭐️
後今日から今月中ブログを毎日書くと決めましたが、加えて今月中は毎日ジムに行くという目標も掲げたいと思います!!
まずは小さな目標を少しずつ掲げていきたいと思います!
頑張りますので、応援よろしくお願いします!!笑
何もやる気が起きない、、
社会人4年目のADHDの男性です。
現在、適応障害により会社を休職しております。
休職期間三週間目に入り、薬も飲み体調は回復しつつあるものの、本当に何もやる気が起きない、、
どうしたら良いのだろう、、、
何かをしなければならないのは分かっている。
とりあえず、好きなことをしよう!!と思ってギター・ピアノを弾いたりしても、、長続きしない。
弾いている時に、、、あー好きなことで暮らしていけたらどんなに幸せなのか、、子供の頃嫌なことに労力使わないで好きなことでとことんしていれば、人生変わっていたかなーー、、
今こんなことしても、意味がない、、、人生やり直したい、、、
結局昼間に起きてベットでスマホいじって、飯食ってまた寝て、夕方少し外出てスタバで1時間くらい本読んで、帰って晩飯食ってベッドでスマホいじる日々、、
負のスパイラルに入ってしまい、好きな事をしていても暗い気持ちになってしまう。
自己啓発本を読んで、少し前向きになって実践しようとしても、すぐネガティブパワーが発動して何もできなくなる。
完全に引きこもり状態である。
社会人になってから、努力しても人よりできないことが沢山あった。
僕はその事に対して引け目を感じていたので、なぜできないのか??
という上司からの問いに対して、やってもできないですとは言わず、体調悪くて、、とか復習する時間なくて、、など意味のわからん言い訳をして過ごしてきた。
本当は家で復習毎回してるし、体調なんてストレスでいつも悪いわ!!って感じでした、、、
元々中高とラグビー部で体育会系を経験してきた僕にとって、根性論というものが心のどこかであった。
決して根性論という言葉は好きではないが、結果一番大事なのは根性で、苦手なことでも本当に頑張れば何にでもなれる。
そのような思いで、大学生まで生きてきた。
しかし社会人になってから、サビ残・公休日出勤とブラックな働き方までをしてまで働く意味を全く見出せなくない自分がいる。
このまま定年まで後40年生きていく意味はあるのか?
そんな事を考えてしまっている自分もいた。
ADHDという障害を抱えながら、やりたくない事を人一倍頑張るのがこれからの人生だとしたら、本当に辛い、、
この発言は本当に考えが甘いと思うが、、
八月から復帰をするか、退職して違う道を選ぶかはまだ決断できていないが、できれば自分に合った働き方が出来るような人生をこれからは選びたいと思う。
本当はブログも昨日の一日で放り出したい気分だが、それだと本当に目標がなくなってしまう。
文章がまとまっていなくても書くことに意味があると思うので、まずは七月中は毎日更新することを目標に頑張ります!!
25歳でADHDと診断されました。
二週間前にADHDと診断された
しかし、まさか自分がADHDの傾向があると診断されるとは、社会人になるまで正直考えていなかった。
近年ADHDについてネットやテレビで取り扱うことが増えてきたので、誰もが聞き馴染みのある
言葉ではあるだろう。
ADHDの特徴を聞いて、自分も実はそうかも、、と考えてる人いませんか?
「でも自覚したところで何も変わらないし、それは言い訳だよなー、、」
「ADHDは性格的な部分が強いから、それを理由にするのは甘えだよな、、」
僕は、25歳までずっとそのように考えて生きてきました。
人と違うことは、恥ずかしいことだから、、、
でも、現在は精神科で自分がADHDであることを自覚できてよかったと思っております。
そう考えた理由を書いていきたいと思います。
ADHD(注意欠如・多動症)とは
まず初めにADHDの症状について簡単に説明したいと思います。
ADHDとは、不注意(集中力の欠如)、多動性(落ち着きがない)、衝動性(考える前に行動してしまう)
の3つの特性を持つ発達障害のことを指します。
不注意
・忘れっぽく、よく物を忘れる
・テストでケアレスミスばかりする
・計画を立てるのが苦手
・授業中、他のことを考えてしまい集中できない
多動性
・話し出したら、過度に話してしまう
・授業中、席を立ってしまう
・好きなことに周りが見えなくなるほど集中してしまう
衝動性
・順番を待てない
・衝動買いをして、後悔する
・他人の話を遮る
ADHDは生まれつきの障害ではあるのですが、私のように自分の性格が原因と考え、大人になってから診断されるケースも最近増えております。
仕事のストレスで適応障害に、、そして発達障害と告げられる
小さいころから、よく「〇〇君って、天然だよね」と言われることが多かった。
自分では自覚がなかったので傷つくことも多くあった。
物事に対しての考えを持っているのに、それを上手く伝えられず辛い思いをしたことも何度もあった。
しかし、僕は失敗を自虐ネタでカバーできるタイプで面白い奴として仲良くしてくれる友達もいたので不登校にならず、大学卒業までストレートで生活することができた。
大学卒業後は、大手企業の飲食店で三年間働くも新卒一年目は怒られっぱなし。社内では完全にいじられキャラになり、お前は覚えが悪いから人の十倍頑張れ、お前は本当に馬鹿だ、、と上司に言われるようになる。
ある程度仕事ができて来たころには、体調を崩し医師から自律神経失調症と言われる。
その後自分はここにいてはいけないと感じ退職を決意。
そして2カ月の有給消化期間を経て、未経験でITインフラ(NW機器)の法人既存営業をする会社に就職。
入社の決め手はIT会社への憧れと、人柄が良いと言われてきた自分に法人営業が合っていると思ったからだ。
しかし入社後は会社の商材・ITの知識・営業のやり方を短期間で覚えて実践しなけない環境でした。
自分の中でやりきる覚悟はあった。
ただ、同時に違う作業を行うことが何より苦手な私は毎日寝るまで勉強して、土日を使って仕事をしても上司から毎日詰められ入社三カ月で適応障害になり一カ月間休職をすることとなる。
自分は何か他の人と違う、、昔から当たり前のことができない、、、、人一倍努力してるはずなのに、、、、
この時の僕は、自分を普通だと騙して生きることに疲れていたのかもしてない。
そしてその後自ら医師に診断して頂いた結果、ADHDだと告げられた。
ADHDと自覚できてよかった
正直、ADHDであることを周りに話せない自分がいる。
それは相手にどう受け取られるかが心配だから。
そんな、小心者である自分が情けない、、、
でもADHDと自覚できてよかった。
自分がADHDであるということに気づくことで、自分のこれからの生き方について
あらためて見直す機会になったからだ。
今となっては、もっと早くから気づくべきであったと思う。
このブログを通じ、自分の経験・意見を発信することで、ADHDである自分を好きになれる。
そんな人になりたい。